2014年5月25日日曜日

強制と自主性


最近パッツリ更新止まってました。
きっちり書こうと考えすぎると手が止まってしまうので、雑多ですが緩く書いていこうと思います。


仕事で様々な人と接していると、
無茶ぶり耐性のある人とない人が結構見えてきます。

無茶ぶり耐性がない人に、その人の能力やキャパを超える仕事を依頼すると、
「いや、僕には無理っす。」
と途端に拒絶反応を示したり、
「どうすればいいか分かりません。」
と思考停止状態に陥ったり。

顔からネガティブオーラがひしひし伝わってきて、
それでもやってとお願いし続けると、
「僕にはこの仕事向いてない。」
と言って仕事そのものを放棄しようとしたり。


上記は特定の誰かのことを指すものではなく、
例えばという意味で書いてるんですが、
僕はこういう雰囲気を感じると、その人が自分の成長を自分で止めてしまっているように思えて、たまらなく残念な気持ちになります。


で、この無茶ぶり耐性がある人かない人かの違いは何なのかと考えると、
ひとつに過去の経験による違いではないかと。
少なくとも自分がそうだから。


僕は高校時代、ラグビー部に入っていたんですが、
軽い気持ちで入った部活は恐ろしく厳しくて、毎日鬼のようにしごかれてました。
正直運動はそんなに得意ではなく、特に1年のときは辛くて辞めたいと思い続ける毎日でした。

ただ部活を辞めると残りの同期が連帯責任として先輩からしごきをくらうという慣習があり、辞めたいけど辞めれない、正に生き地獄。


そんな辛い日々をすごしていたある日、監督が部員を集めていろんな話をしているときに、このような話をしてくれました。

「無理やり辛い練習をさせてるのは分かっとぉ。
ただ人は最初から自主性は身に付かんのよ。
最初は強制。
その中でうまくなってきて始めて、自主性が身に付き始めるったい。」



確かに、強制されない限りあんな辛い練習絶対にしないし、
連帯責任のしごきの慣習がなければ、絶対3ヶ月で部活辞めてました。

ただその強制があったからこそ、
忍耐力は格段に上がり、精神的にもだいぶタフになった自分がいます。
(ラグビーはあんまりうまくならんかったけど・・・涙)


この経験は今でも僕の基礎になっていて、仮に無茶ぶりを食らっても、
「辛いけど、この壁を越えたら自分はもっと成長できる。」
とある意味前向きに捉えることができるようになりました。


この強制と自主性の関係を経験的に理解できていないと(みんな頭ではそれなりに理解できると思うんだけど)、
特に30歳を超えると、成長が止まってしまう気がするんだよなぁー。

そして若手社員にも下手に強制をしようとすると、
心が折れちゃったり、
「この会社はブラック企業だぁ!!」
となっちゃったり。。

難しい時代です。



で、何が言いたいかと言うと、
これからの時代は「強制の先に自主性がある!」のマネジメントだけでは残念ながら通用しなくて、うまく自主性を引き出すようなマネジメントを絶対に身につけないといけないということ。

僕、これが分からんとです。
そんなマネジメント受けてきてないから。。


マジで誰か教えてください・・・!!(これ切実)



※写真はあんまり関係ないけど、昨年のジャパンvsオールブラックス戦でのハカ。
いつ見てもハカかっけぇー。